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【彼女が舞台に立つ理由】 近藤万里愛

ドラマ&映画

2時間前

近藤万里愛

「私は平和への願いが強いんですよ。あんなに優しい弟が人を殺さないといけない世の中になんて絶対になってほしくない。でも、そうなってしまう可能性がなきにしもあらずなのが今のこの世の中だと私は思っていて、それは本当に恐ろしいことだと思っています」

 そして近藤万里愛は言葉を続け、きっぱりと言い切った。

「自分ひとりの力では何もできない。ただ演劇には平和に貢献する力が絶対にあると思っています」

■近藤万里愛 プロフィール
高知県出身
1997年4月9日生まれ
157cm
趣味・特技 どじょうすくい踊り二段(全国大会2年連続優勝)、ヨーデル、アコーディオン、フルート、土佐弁落語、フラメンコ、よさこい鳴子踊り
経歴 劇団俳優座32期生 2023年入団

 彼女が演劇に触れたのは生まれてすぐ。物心ついた時には高知で舞台に立っていた。両親が地元の劇団で出会って結婚。本業とは別に舞台活動を継続しており、彼女も子役をしていた。

「最初のセリフを覚えていますよ。3歳か4歳だった時。“お姉えちゃあーん”の一言。最初は演技が好きっていうよりは、とにかく大きな声を出せるのが楽しい。あとは稽古に行ったら大人たちが遊んでくれたりして、なんか楽しい場っていうイメージ。その空間がもう大好きでした。中学1年生までは毎年1回は舞台に立っていました」

 両親の舞台は社会派のテーマが多かった。特に空襲のシーンは印象に残っているそうだ。

「舞台では照明や音響で“戦争”が作られていて。私は小さかったから、これが現実なのか嘘なのかもわからないような体験でした。めちゃめちゃ怖いんです。夜な夜な泣いていたこともあるんですよ。大切な家族がいなくなったらどうしようとか……殺されたりしたらどうしようとか……」

 中学2年生の時、地元のご当地アイドルのグループに加入する。幼い頃から舞台に立っていることで、表現をする魅力にとりつかれたのか……中学生の女の子として、純粋すぎたことが理由だった。

「当時、ある男性アイドルに夢中になっていたんです。そんな時に地元でご当地アイドルを作る話を聞いて。ここでアイドルになればきっとその男性アイドルに会うことができるかもって考えました。よく考えてみればあり得ない話なんですけどね。オーディションでは結構な人数が受けにきていました。とにかく他の人と違うことをやろうと思って、“横浜、たそがれ~”と五木ひろしのモノマネをしました」

 この頃は、ご当地アイドルが活発だった時代。いわゆるアイドルとして、歌って踊って物販をするなど、定番の活動をしていく。実は人見知りでもあったそうだがファンとの交流で克服していった。アイドルとして笑顔の練習もした。ひとりでも多くのファンに気に留めてもらうためブログの更新も頑張った。

「正直、大変なところはありましたよ。CDを買ったレシートが投票権になって人気投票みたいなものもあったし。お父さんも知り合いにたくさん協力してもらっていました。今も高知に帰ったら声を掛けられるんですよ。全然知らない方から“あの時、お父さんに頼まれて投票したんやで”って」

 グループではリーダーで“センター”も務めていたが、高校1年生になると解散することになる。これでは当初の目標であった男性アイドルと会いたいという夢は遂げられないことになるが、ちょうどこの頃、彼女は高校で演劇部での活動に夢中になり、すぐに方向転換。第一次の作戦は失敗したが、ここから第二次の作戦がスタートする。高校の演劇部は強豪でもあった。

「考えてみればアイドルは若い時だけしかできないイメージですけど、俳優ならば長くできる。その方が可能性が膨らむのではないかって考えたんです。とにかくそうと決めれば、ここでも、もう誰にも負けたくない。すごく頑張りました。主役も任せてもらったんで、頑張っているという自信もありました」

 演劇部では気になるライバルもいた。ただ、そんなことでは彼女の目標は揺るがない。大学に進学の際は「東京で活動をした方があのアイドルに会える可能性は高くなる」と考えた。両親からの「東京に行くなら学費の安い国立の大学に行って欲しい」との言葉を受けて、猛勉強。見事にその期待に応える。上京して大学に入学するとアイドルのオーディションに合格。再びアイドル活動がスタート。そして、グループはメジャーデビューをした。

「ここでも物販の売上げでセンターを決めるとか、まさに当時のアイドルって感じの活動でした。ただ、こういうやり方は好きにはなれなかったかな。あとは高知の時代と比べるとメンバーのレベルも高かったと思います。そんな中で私はお笑いキャラというか、何か変なことをするキャラクターで居場所を見つけようとしていました」

 売れたい……。グループが少しでも成功するために愚直に行動した。メンバー間の人間関係を円滑にするために、進んでピエロにもなった。グループのためにいろいろな提案もした。それでも現実は厳しかった。

近藤万里愛

「私はやりたいって思ったことは、ほんとに一直線。わかりやすい性格だと自分で思っているんです」

 高知のアイドル時代はセンターを務め、高校時代は演劇部で主役。東京に出てくるために猛勉強もした。本人の思いはわからないが、“頑張り屋の優等生”に見える。好きなアイドルと会いたい一心で向かう姿勢も、ここまで頑張っていると、なにか清々しい。ただ、人間はそう単純ではない。

「アイドルをやっていれば、自分はずっとちやほやされているなって感触は持っていたんです。でも、なんとなく、このままでいいのかなって。まったく社会のことも知らないし。これでは浅い人間で終わってしまうなって。危機感を感じるようになっていました」

 そんな時に出会ったのが『ドイツの犬』という演劇作品。ナチスドイツ占領下のフランスを舞台にした作品だ。そこである俳優の演技に魅了される。それが俳優座の小泉将臣だった。こんな舞台に立ちたい。そしてこんな俳優になりたい……。彼女の行動は速い。俳優座研究所で学び、今は劇団員として舞台に立つ。目標は技術的な成長だけでなく、人間として勝負ができる俳優になることだ。

「理想は立っているだけで感動する俳優。もうその人の生き様っていうか。そういうエネルギーを出すような俳優になりたい。今の私は人として白か黒かだけで中間がない。もっとグラデーションを持てるようになって全てを抱え込めるような人間になりたいんです」

 そんな彼女はなぜ舞台に立つのか。

「今の社会情勢的なこともあって、そういう昔の戦争を経験した人の話を繋いでいくのも大事な役割だと思っているんです。かつての歴史と現代を橋渡しできるのが演劇の力。さらに、どんな世の中であろうと人の心をほぐして笑顔にすることも演劇ができること。私はこの2つのために舞台に立ちたいんです」

ご当地アイドル、高校の演劇部、上京を目指した大学受験、そしてメジャーデビュー。様々な経験を重ねることができたのは、彼女がその時々で目の前の目標にまっすぐ向き合い、ひたむきに突き進んできたからだろう。これは決して簡単なことではなかったはずだ。少なくとも、大きなパワーを持っていないと、どれも挑戦することだけでも難しい。
そうして積み重ねたひとつひとつの経験が彼女のエネルギーとなり、これから観客の心に力強いメッセージを届けていくことができるのではないだろうか。
冒頭の言葉通り、演劇に大きな可能性を信じる彼女が、どんなスケールの大きな俳優へと成長していくのか、楽しみだ。

(取材・文:海老原一哉)

近藤万里愛

■近藤万里愛出演情報

特別公演 戦争とは…Vol.32
『もしも魔法が使えたら ―戦争孤児11人の記憶―』
俳優座スタジオ
2026年7月18日~20日

近藤万里愛のコメント
「戦争孤児として大変な幼少期を送った11人の方の記憶になります。そんな子どもたちの思いを感じてもらえる作品になっています。希望が持てるような作品だと思うので、ぜひたくさんの方に見てほしいです」

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