ニュース
大石庸平は「ESCAPE」第10話をどう見たか?
2025/12/13 06:00
「テレビ視聴しつ」室長・大石庸平は「ESCAPE」第10話をどう見たか?
※第10話のネタバレを含みます
桜田ひよりと佐野勇斗が主演を務めるドラマ『ESCAPE それは誘拐のはずだった』の最終回が、10日に放送された。
本作は、誘拐事件をきっかけに、人質の結以(桜田ひより)と誘拐犯の大介(佐野勇斗)が、なぜか2人で逃避行を続けることになるというノンストップヒューマンミステリーだ。
第4話で刑事の小宮山(松尾諭)がすでに看破していたように、この騒動は“親子ゲンカ”に過ぎなかった。しかし今作を振り返れば、それが「ただの親子ゲンカ」だったにもかかわらず、なぜ我々はこれほどまでに没頭できたのだろうか。最終回はまさにその理由を証明し、物語を成立させるだけの胆力を見せつけるものだった。
クライマックスにおける結以と父・慶志(北村一輝)の病室での和解。「お互いちゃんと話しておけばよかった…」という着地は、冷静に考えれば、2人の大騒動に巻き込まれた人々や視聴者を愚弄しているとも捉えられかねない。“誘拐”という犯罪的手段を用いてまで「青春を取り戻そうとした」という美談だけでは、その代償があまりに大きすぎるからだ。「今まで見てきた時間は何だったのか」という徒労感が残ってもおかしくなかったはずだ。
だが実際はどうだっただろうか。これまで2人に関わってきた人物たち、そして我々視聴者の中に、あの和解を見てそんな邪念を抱いた者はいなかったはずだ。 それは単に“親子ゲンカ”という構造が第4話で開示されていたからではない。あるいは八神家の闇や“さとり”の特殊能力といった、壮絶な背景設定によるものでもないだろう。
私たちが納得できた最大の理由。それは、これまで何度も述べてきたように、彼らの逃亡劇が道中で誰かを“救い”、そして最後には父・慶志自身をも“救った”という事実にある。

「過去の事実は変えられないが、過去の意味は変えられる」
京(富田靖子)の夫・忍(神尾佑)が語ったこの言葉通り、彼らは逃亡劇を通して、変えられないはずの苦々しい過去さえも肯定してみせたのだ。「ただの親子ゲンカ」という結末を、壮大かつドラマティックな物語として視聴者に納得させ、ねじ伏せてみせる。その圧倒的な“胆力”にこそ、私たちは魅了されたのではないだろうか。
さて、最後なのでここからは少し個人的な話をさせてほしい。
至極個人的な嗜好だが、筆者は“キスシーン”がすごく苦手だ。むしろ嫌い。見たくないとすら思っている。とあるそれまで大好きだったテレビドラマの“最終回ラストキッス”によって、「ふざけるな!」と、“つまらないドラマ”の烙印を押したことすらある。
なぜなら“キスシーン”とは“パッション”の表現方法として最終形態だと思うからだ。その“パッション”を、どうか“キスシーン”という安易な方法で逃げずに、工夫された表現をしてほしい。それこそがクリエーティブだとも思うのだ。とはいえ、本当は気恥ずかしいだけなのかもしれないけれど…。
では今作における“最終回ラストキッス”はどうだったか?
当然“気恥ずかしさ”はとてつもなかったけれど、控えめに言って、最高だった。
それは「手を触れるではなく、キスをした場合どうなってしまうのか?」という、ドラマ史上かつてない、明確な“キスへの伏線”が引かれていたことももちろんあるだろう。けれど「キスをすればどうなるのか?」という、ともすれば卑わいな想像、そんな無邪気な想像こそ、“青春”なのだ。
“キスをすればどうなるのか?”=キスへの好奇心は、“さとり”の特殊能力がなくとも、若かりし頃の誰もが考えてしまう、誰にでもあるキラキラとした、“青春”だ。ましてや“最終回ラストキッス”は、河川敷である。路上、公の場だ。これぞ“青春”ではないか。『ESCAPE』はそんな“青春”を最初から最後まで貫いた。だからこそ、キスへの好奇心、からのキス、それが路上。それこそが、“青春”の最終到達地点。最終回に相応しい、それでしかありえない、“最高のキスシーン”なのだ!
最後の最後に、そんな自分の“青春”をも追体験させてくれた、桜田ひよりと佐野勇斗の好演に最大限の賛辞を送りたい。
◆「ESCAPEそれは誘拐のはずだった」
毎週水曜よる10時~11時
(C)NTV

コメントを書く