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ウエンツ瑛士が「10代のバラエティ師匠」明かす!3年間の猛特訓で基礎を構築

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2時間前

ウエンツ瑛士

 4日放送のテレビ東京『あちこちオードリー』(火曜24時30分)にゲスト出演したウエンツ瑛士が、10代の頃にバラエティ番組で師匠と仰いだ大物芸人を明かした。NHKの『天才てれびくん』を卒業した直後が最も過渡期だったと振り返り、そこから大人の事務所に移籍して最初にレギュラーをつかんだのはフジテレビの『力の限りゴーゴゴー!!』だったと語っている。

半年でクビになった挫折から『IQサプリ』での運命的な出会い

 番組でウエンツは、ネプチューンが出演していた『力の限りゴーゴゴー!!』(フジテレビ・1999~2002年)に実はレギュラーとして参加していたものの、あまりにもしゃべることができず半年でクビになったと苦笑しながら振り返った。

「あれ実は僕レギュラーだったんですけど、あまりにも喋らなさすぎて、しゃべれなくて半年でクビになったんです」と当時を思い出した。

 レギュラーがなくなった後、フジテレビの『IQサプリ』(2004~2009年)がゴールデンに進出する前の深夜枠に呼んでもらい、そこで今田耕司と伊東四朗に出会ったことが大きな転機になったと語っている。「『IQサプリ』っていう番組の、まだ深夜。ゴールデン上がる前の深夜に呼んでもらって、そこで今田さんと、伊東四朗さんに出会ったっていうところが、1つのきっかけ」と明かした。

 当時の今田は30代で非常に勢いがあり、「この人についていけば、俺は大丈夫だ」と確信したという。16歳、17歳のウエンツを収録後に「よし、メシ行くぞ」と頻繁に食事会に連れていき、「あそこはこうだったな、こうだったな」と3年間にわたって指導を受けたと明かした。

「今田さんが多分、30代でゴリゴリで。「この人についていけば、俺は大丈夫だ」って。それで16歳、17歳の俺を、終わった後に「よし、メシ行くぞ」って、めっちゃ連れてってくれて。そこで、「あそこはこうだったな、こうだったな」って3年ぐらい」と語った。

 これにMCの若林正恭が「収録中の?」と驚きの声を上げると、共演ゲストの大沢あかねが「吉本でもないのに(笑)」とツッコミを入れ、若林は「ちょっと授業みたいな感じになりますよね」と指摘。ウエンツは「めちゃくちゃ授業でした」と即座に同意している。「それを3年過ごして」と振り返り、濃密な3年間を過ごしたことを明かした。

芸人ではない立場ゆえの厳しさと「洋服を引っ張られる」プレッシャー

 ウエンツは当時、男の子でバラエティ番組をレギュラーでやる人物がSMAP以降ほとんどおらず、自分が今田の後ろについて歩いていたため芸人からは相当嫌われていたと思うと分析。「その時になんかあんまり男の子でバラエティをやるっていう人いなかったんですよね。SMAPさんがいて、その後になんかあんまりいらっしゃらない中で。僕が今田さんの後ろについていかせてもらってたんで。だから僕は芸人さんからは、すげぇ嫌われてたと思います」と当時を振り返った。

 若林が「あ、そこで目立つから」と相づちを打つと、ウエンツは「目立つし、「バラエティ的なことしやがって」みたいな」と当時の周囲の反応を語った。さらに、当時の方が今よりも圧が強く、「芸人じゃねぇだろ」という言葉が本当にやばかったと振り返り、若林が「それ、怖いですよね、一人で」と共感を示すと、ウエンツは「本当に一人だった。本当にサッカーみたいに洋服引っ張られましたもん」と当時の緊張感を赤裸々に語っている。

 前に行こうとすると『めちゃ×2イケてるッ!』のような番組では引っ張られることもあったと明かし、「前に行こうとすると、『めちゃ×2イケてるッ!』みたいな番組になったらもう引っ張られて」と当時の様子を語った。伊東四朗については「迎えがいなければ、電車で現場に来られる」という謙虚な姿勢も学んだと後年振り返っており、今田と伊東という2人の大物から受けた影響は計り知れないものがあったという。

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